第133回直木賞を受賞した本作は表題作含めて全6篇の短編を収録している。当記事では各作品の簡単な紹介と感想を記す。そのため、事前情報をいっさい避けたい方はブラウザバックを推奨する。ただし、物語の全容が分かるような記事にはしていないので、気が向いたらこのままご一読いただきたい(とはいえ、感想では物語の核心に触れる箇所もあるのでご注意)。
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トカビの夜
<作品紹介>
東京から大阪の下町に越してきたユキオは朝鮮人の男の子チェンホと仲良くなる。二人を繋いだのはゴジラやガメラといった怪獣の類だった。民族差別を受けているうえ、体に障害があるチェンホはほとんど外出ができない。そんなチェンホが、ある日ユキオの家を訪ねてきて……。
<感想>
私は本作を『平成怪奇小説傑作集〈2〉』(東京創元社)というアンソロジーのなかで既に読んでいた。そのため、読み飛ばそうかと思っていたのだが、一行目に目を通したところ、気がつけば最後まで読み通していた。それくらい魅力的な作品である。
当小説で最も印象的に感じたのは、ユキオが窓からトウガラシを外し、投げ捨てるシーンだ。チェンホを最後まで拒絶し続けた他の住民たちと違って、ユキオは心の障壁を取り除き、虚心坦懐に彼と接しようとした。いじめを傍観して一度は加害者側になったユキオが社会の圧力や空気の流れに抗って、他者を受け入れようとした、その心意気は当小説の神髄とも言えるだろう。出自の異なる他者を排除しようとする作用が強くなっている昨今、この小説を読む価値は奇しくも高くなっているように思う。一度読んだら一生を通じて忘れないであろう温もりを施してくれる傑作である。
妖精生物
<作品紹介>
「せっちゃん」こと主人公の「私」は学校帰りにクラゲのような不思議な生物を買う。それは幸運を運んでくれるらしい。やがて父の会社に大介さんというハンサムな男が入社してきて……。
<感想>
本作品群は切なくも心あたたまる話が多いのだが、本作は6篇のなかで唯一と言っていいほど陰鬱な内容である。上品な言い方ではないかもしれないが「胸糞悪い」という言葉がぴったり当てはまる。ある意味で最もホラーな作品だ。
妖精生物はおそらく性欲や生殖機能の象徴だろう。主人公の「私」が妖精生物に触れることで得体の知れない快感を覚え始める描写には妙な生々しさがあった。成長に伴って身体が変化することに対して誰しもが一定の恐怖心と期待感を覚えることと思うが、あの感覚を私は思い出してしまった。
また、当作品は家族制度に翻弄される女性の苦悩も提示しているように思う。主人公の母はまさに良妻賢母である。家事をこなし、介護をこなし、子育てをし、会社の人たちの世話までもする。が、臨界点に達してしまう。そのしわ寄せが息子ではなく娘の「私」に来るという点はあまりにも示唆的だ。
最後の濁流のシーンも象徴的だった。それは男性の暴力的な性欲を示しているようにも読めるし、家族の破綻を示しているようにも読める。あるいは主人公たる「私」の破綻の象徴だろうか。
こういう地獄が現実に繰り返されているかもしれないと考えると、背筋がぞっとする。
摩訶不思議
<作品紹介>
主人公アキラの叔父に当たるツトムおっちゃんが転倒死する。葬儀の日、火葬場へ入ろうとする霊柩車がなぜだか動かなくなる。おっちゃんの霊の仕業だと皆が感じているなか、アキラはおっちゃんに愛人がいたことをカミングアウトして……。
<感想>
こちらは打って変わってコメディテイストの話である。息抜きの感覚で読むことができる軽やかな秀作だ。
ネタバレになってしまうので、詳しいことは言えないのだが、とにかくおっちゃんはモテる。無為徒食の身分でありながらモテる、といういわゆるヒモ男なのだ。こういうモテる系のヒモ男は実際にも結構存在するように思う。
売れない作家のモテエピソードなんかもよく聞く。太宰治も作家として名を馳せる以前から非常にモテていたイメージがある。得てして、この手の人たちは死後も多くの人から愛されるらしい。私もそういう人間的魅力を身につけたいものだが、現実はトホホである……。
花まんま
<作品紹介>
俊樹の妹フミ子は熱を出したのを機に人が変わったようになる。彼女にはどうやら生前の記憶があるらしく「繁田喜代美」という人物だったという。繁田家の住む彦根に行きたいので連れていってほしいとフミ子から頼まれた俊樹はしぶしぶ一緒に彦根へ出かけるが……。
<感想>
生まれ変わりという題材を通して兄妹愛が描かれた秀作である。読後感に残る温もりとしては『トカビの夜』に近いものがあるかもしれない。
兄貴としての俊樹の心の葛藤が見事に描写されている点が印象的だった。俊樹にとって妹のフミ子はかけがえのない存在であり、亡き父と懸命に働く母の愛娘である。俊樹は、フミ子の心がこちら側の家族から生前の繁田家の方へと離れていってしまうのを警戒しながらも、妹の願いを聞き入れ、その心に寄り添おうとする。繁田家の父とフミ子の中の喜代美が対面するシーンにおいて、兄としての葛藤が言葉や行動として一気に表出するのには胸を抉られるような切なさがあった。
著者の朱川さんは心理描写が秀逸だ。ただ単に心理描写がうまいというのではなく、話の流れの中で、それを自然と描き上げている点が卓越している。小説を書く上で見倣いたい描き方だとつくづく思う。
送りん婆
<作品紹介>
語り手の「私」みさ子が40年前に経験した話。みさ子の親の勤める会社の社長の母親は通称「送りん婆」という霊媒師のような仕事をしている。それは、生死の境をさまよっている人を苦しみから逃れさせるために呪文を唱えて死なせるというものだった。その送りん婆に気に入られたみさ子は勝手に弟子入りをさせられて……。
<感想>
二人称による昔語りのスタイルの作品である。老人の昔語りという時点で既にノスタルジックな雰囲気が出ている。
当作品は言霊をテーマにしているが、一方で社会的な問題も含ませているように思う。物語の核心ではないかもしれないが、安楽死の問題だ。生死の境をさまよいながら苦しんでいる人を安らかに死に至らせるという行為は、やはり安楽死問題そのものと言っていいだろう。ここで当問題に深く入るつもりはないが、こういう現実に議論される事柄に対し、呪文というファンタジーの要素を絡めて小説に仕立てている点が上手い。
なお、この小説は送りん婆の人物造形も秀逸である。みさ子が「おばさん」と呼ぶ、送りん婆の最初の印象は相当に怖くてネガティブなものだ。ところが、読み進めるにしたがって、次第に憎めなくなってくる。そして最後にはすっかり好感を抱かせる。送りん婆という存在自体が古き時代そのものを象徴しているようで、作品全体に郷愁の雰囲気を漂わせている。
凍蝶
<作品紹介>
ミチオは保育園の頃から周囲から差別され、孤独に過ごしている。小学校二年の頃、東京からマサヒロという転校生がやってきて仲良くなるが、やがてマサヒロ一家からも差別され、再び孤独になる。ある日、マサヒロは墓地に迷い込み、そこでミワさんという十八歳の美女と知り合う。彼女には小学生の弟がいるらしい。そんな彼女から冬を越す蝶の存在を教えられて……。
<感想>
被差別部落出身の少年を主人公に据えた作品である。最初は仲良くしてくれるのに気がつけば周囲が離れていくという様子が描かれる。これは親による子どもへの吹聴によって起こることなのだろう。現実世界でも実際に起きている事象なのだと考えると寒気がする。
ふと思い出したことだが、両親が結婚する際、父の一家(すなわち私からすれば祖父母)が母の家族の身辺調査をしたということを聞いたことがある。調査の結果、問題がなかったため、無事結婚できたと話していた。私はこの話を聞いて大変ショックを受けた。いつも優しくしていくれている父方の祖父母のことが一気に信用ならなくなった。純粋な愛ではなく、出自や血統の選別によって、我が一族が続いてきたのだとすれば、私は自分の家系を全否定したいと思った……。だいぶ話が逸れたが、何はともあれ、これ一件を考えてみても、前時代的な人たちがいかに血統を気にしているか、すなわち差別の対象を選んでいるかが窺い知れる。
さて、東京から越してきたというだけで仲間外れの対象になったマサヒロ一家がしばらくしてミチオを差別し始めるという構図はあまりに皮肉だ。「弱い者たちが夕暮れさらに弱い者を叩く」というブルーハーツの『TRAIN TRAIN』の歌詞を思い起こさせる。SNSなどはその極致の領域だろう。
最後のミワさんとの邂逅の場面はあまりに切ない。彼女は身を売って生活をしていることが分かるのだが、そうすることでしか生きられない人々への著者のあたたかい眼差しがこういうところから感じられる。森鴎外の小説でも感じられることだが、社会の仕組みや制度が必然的に劣悪な環境を生んでいるという問題意識が背景にあると思う。鴎外作品について芥川賞選考委員の平野啓一郎さんは「反自己責任論」という言葉で説明している。朱川さんの小説にはそれと近いあたたかい視点があると私は思う。
まとめ
全6篇に共通しているのは過去の回想であるという構図だ。大人になった語り手が幼い頃の記憶を思い起こすという形式をとっている。この時間的な距離感が良い意味で物語の解像度をぼやけさせ、ノスタルジックな雰囲気を演出している。大阪の下町という限られた地域が舞台なのに、大阪に住んだことのない私に郷愁を感じさせるのだから不思議だ。むろん、それは著者の緻密な人物造形や心理描写の賜物である。
この短編集は単なる感動譚ではない。当作品群には人間の持つ暗い「影」の部分が通底している。親しい人の死や喪失という要素が含まれ、さらに人種差別などの社会の醜い一面が自然と描かれる。時や状況に応じて人間は加害者にも被害者にもなる。このような目を背けがちな事実を著者は誠実に見据えて作品を描いている。読者はそこに自分自身の一部を見て、自分事のように当小説を読むのではないかと思う。
懐かしさと同時に人間の暗部も照射する。そんな両義性が当作品群にはある。もしこの夏読みたい本をお探しの方には、ぜひおすすめしたい。いや、この夏と言わず、年間を通じておすすめしたい稀有な短編集だ。