市井ケンジロウの独り言

趣味で文学・音楽を創作している者です。

Mr.Children tour 2023/24 miss you-2024/1/13公演- ライブレポート(セトリ含む)

 この感動をしっかり言葉にして残しておきたいと思い、ふと思い立って書き記しています。東京国際フォーラムにて行われたMr.Children tour 2023/24 miss youの2024/1/13(土)公演に昨日行ってまいりました。

 朝は晴れていたのですが、14時過ぎに突然雷がゴロゴロと鳴り始めて一気に雨模様に。家を出るときにはあられが降っていて、東京駅に到着したときには完全に雪に変わっていました。「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」という『クリスマス・イブ』(山下達郎)のフレーズを思い浮かべながら雪のなか国際フォーラムへ向かったのですが、服が濡れて体がすっかり冷えた状態に・・・。

 で、到着して気づいたのですが、実は東京駅からは地下通路で東京国際フォーラムと繋がっていたのですね。地下通路から上がってくるお客さんたちを見て、少しショック。「俺も地下通路から来ればよかった!」と思いつつ、自販機であたたかいお茶を買って、ひとまず会場に入ったのでした。今後東京駅から東京国際フォーラムに行かれる方はぜひ地下通路を使うことをおすすめします(悪天候の日は特に)。

 開場17:30で開演18:30だったのですが、自分は18時頃に入場。今回はグッズを買わないつもりでいたのですが、少し時間があったので、見学がてらグッズ売り場をのぞいてみたところ、ライブ熱がどっと出てきて、ちゃっかりフェイスタオルと会場限定ストラップを購入してしまいました。シャツやパーカーも欲しかったのですが、以前よりお値段が上がっていて断念。パーカー13,000円に長袖シャツ5,500円・・・。いろいろなモノの値段が高騰している今日この頃ですが、ライブグッズも例外ではなかったようです。

 お手洗いを済まして、いざホールAに入ってみると、コンサートでよく目にする白いもやもや(スモーク)が非日常の空間を作り出しているのが早速目に入ってきて、ライブ前独特の緊張感と高揚感をひしひしと感じました。

 それに、改めて思ったのが、会場のスマートさです。ミスチルのライブ会場にしては本当にすばらしく小さいのです。日産スタジアムの収容人数は7万人超、東京ドームは5万人超らしいのですが、東京国際フォーラムのホールAは5,012席。これまでスタジアムツアーやドームツアーが多かったMr.Childrenですが、彼らのパフォーマンスが、ホールという近い空間の中で観られるのはファンとしてはこの上ない贅沢です。ゆえに抽選に外れた方も多かったようなので、自分は本当に運が良かったと思います。ちなみに自分がこれまで参加したことのあるホール系会場のライブは、ファンクラブ会員向けに行われた『エントランスのエントランス』の東京ガーデンシアターでの公演でした。東京ガーデンシアターの収容人数は8,000人程度ということですので、それと比較しても、今回のライブはスマートサイズだということが分かります。

 ようやく本題です。以降はセットリスト等ライブ内容のネタバレを含みますので、これからライブに行かれる方はご注意くださいませ。

 1.Birthday

 メンバーが舞台に登場し、最初に大きく鳴り響いたのは桜井さんのギターストロークでした。これが凄かった。アコースティックギターが叫んでいるのです。リズムを主体とした力強いバッキングなのですが、ギターの弦一本一本の音とその共鳴音が、すさまじい覇気を纏って、こちらにぶつかってくるようでした。ついに曲のイントロが始まり、それぞれの楽器が音をぶつけ合うように讃えるように刺激し合い始めると、会場のボルテージも一気に上昇。桜井さんのボーカルも「Mr.Childrenここにあり!」という感じの気迫に満ち満ちていて、自分はここでふと目頭が熱くなってしまいました。涙をこぼすのは抑えましたが、なんだか今日まで生きていて良かったなと、醜い世界にもこれほど自由で優しいものがあるのだなと、深い感動を覚えたのです。Birthdayはライブにぴったりの曲だと感じました。

2.青いリンゴ
 新しいアルバムから、この日最初に披露されたのは青いリンゴでした。今回のアルバム全体に言えることですが、アコースティックギターの音の輪郭がものすごくはっきりくっきりしていますよね。ライブでは、CD音源以上にそれを感じることができました。その輪郭を会場全体が感じ取ったのか、ますますお客さんの熱気が上がっていった印象です。

3.名もなき詩

 驚いたのですが、今回の公演では冒頭2曲ほとんどの方が座って聴いていました。スタジアムやドームの硬い席と違って、ホールの席って映画館の席のように座り心地が良いんですよね。自分も冒頭2曲は座っていました。今までのミスチルライブで、これは初めての経験です。でも、なんだかそれも心地いいって思えるような空気感や、それをメンバーも受け入れるような雰囲気もあって、つくづく懐の深いバンドだなと感じた次第です。ただ、この曲では、そうもいきませんよね。イントロが鳴った瞬間、みんな一斉に立ち上がりました。この曲を演奏するためにギターを始めた自分ゆえ、桜井さんのストロークに合わせて自分も小さく右手でストロークの動きをしてしまいました(もちろん、隣の方には迷惑にならないように手首だけです)。圧巻のパフォーマンスでした。

4.Fifty's map ~おとなの地図

 MCで桜井さんが言っていたのですが、この曲のタイトルは尾崎豊の「十七歳の地図」等を意識して付けたのだそうです。若い頃、何度も何度も尾崎豊の曲を聴いたということで、やはり尾崎豊の影響力は凄かったんだなとしみじみ感じました。愛や自由に対する憧れ。50代のミスチルメンバーたちは、今なお、それらを追い続けているんだなと感じた素敵な演奏でした。「窓ガラス叩き割って」の擦れた高音が印象的で、一日経った今なお、耳で鳴り響いている感じがします。

5.口がすべって

 個人的に今回のアルバム『miss you』は雰囲気的に『SUPERMARKET FANTASY』とは対極の位置にあるように感じていたので、『SUPERMARKET FANTASY』の曲がライブで演奏されたのは予想外でした。これが、ものすごく良かった。「自分以外の誰かのために願い事しよう」や「僕らは許し合う力も持って産まれているよ」のような言葉が昨今の社会情勢とリンクして心の深いところまで響いてきました。

6.常套句

 驚きました。思わず「え!」と声に出してしまうほど。本当に個人的な話なのですが、常套句を意識した世界観の曲を作って同日YouTubeに投稿したばかりだったのです。図図しくも下記にリンクを貼っておきます。勝手に運命的なものを感じて、心で叫んでしまいました。「俺の曲がどこかでどなたかのメンバーのお耳に入りますように」って。なんともひどいファンですね。桜井さんの声があまりに切なく、そして優しかったです。

オリジナル曲「君に会えるかな」(気が向いたら、ぜひ・・・)

youtu.be7.Are you sleeping well without me?

 Sunnyさんの奏でるキーボードの音が美しかったです。桜井さんの声に寄り添うように調和していて聞き惚れてしまいました。気持ちがふと落ち着くような時間に。カタルシスを感じるとは、まさにこのことだと思います。

8.LOST

 普段からこの曲を聴いて「立ち尽くしている」と歌っているのですが、ついに生演奏を聴くことができました。「真っ直ぐな想いだって」みたいな高音も心地いいんですよね。アコギのコードの音色も非常に心地よかったです。改めて思うのですが、今回のアルバムはアコースティックギターの音が印象的ですよね。個人的に昨年新しいアコースティックギターを購入したばかりのところアルバムが発売されたので、とかくアコギの音色に耳がフォーカスしてしまいました。むろんリズム隊も素晴らしく、これぞミスチルという感じの演奏でした。

9.アート=神の見えざる手

 きましたよ、ついに。順位をつけるのは野暮かもしれませんが、この日ナンバーワンのパフォーマンスでした、間違いなく。まるで一本のミュージカルを観たかのような濃密さ。桜井さんはミュージカルでも頂点をとることができるのではないかと本気で思います。自分はミュージカル好きで、観劇にも結構行くのですが、今まで見たどのパフォーマンスよりも、鬼気迫るものがありました。気圧されて言葉を失ってしまうような感覚です。この感覚、なんて説明すればいいのでしょうか。個人的な体験を思い起こせば、バチカン旅行に行った際、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」・「天井画」(ミケランジェロ作)を見たとき、凄すぎて感情の整理がままならず、ただただ立ち尽くして口を開けてしまうといった状況になりました。心が腰を抜かしてしまったとでも言いましょうか。そのときの衝撃と似た感覚です。パフォーマンスが終わったとき、会場全体も異様な雰囲気になっていたと感じます。凄すぎて、凄すぎて・・・。桜井さん、ロックスターだけじゃなくてミュージカルスターでもあったのかい、と。今思い出してみても、感情がぐちゃぐちゃになって放心状態になりそう。まさに「神の見えざる手」が働いているのか。アート=神の見えざる手。アートって、そういうものなんですね、きっと。

10.雨の日のパレード

 前曲から一転。平穏なサウンドが会場を包み込みました。この曲、高音ファルセットと低音地声によるオクターブ違いのユニゾンとなっているのですが、今回のライブで桜井さんは低音地声で歌われていました(と自分の耳には聴こえました)。「アート=神の見えざる手」で情熱的なシャウトがたくさんあった分、ゆったりとした低音のボーカルが非常に心地よく、乱れた心が一気に鎮まっていくような感覚がありました。緻密なセトリ構成ですね。最後の光の演出も素敵でした。

Party is over

 ここで桜井さんと田原さん二人のみによる演奏でした。アコースティックギター二本の優しいセッション。カウントの「One Two...」から既に優しかった。お二人の息がぴったりで、こんな親友がいたら最高だろうな、とすごく羨ましい気分になりました。ここでも弦の音がくっきりしていて、弦移動するときの「キュッ」という、いわゆるフィンガリングノイズが素晴らしい味わいを演出して、心の微細な揺れを表現しているようでした。転調のためにお二人が各々のタイミングでカポをつける動作まで尊く、芸術を感じてしまいました。いつまでも聴いていたいような素敵な時間でした。

12.We have no time

 鈴木さんのドラムビートが小気味よく、体がノリノリになってしまいました。自然と体にリズムを刻ませるんですよね。バンド全体のグルーブを感じることができて最高でした。歌詞に韻を踏んでいる箇所が多いのも良いんですよね。『Q』収録の「十二月のセントラルパークブルース」もそうですが、こういうブルース調の曲もミスチルお手の物といった感じです。

13.ケモノミチ

 とにかく田原さんのギターの覇気が凄かった。桜井さんのボーカルの迫力も凄かったのですが、それに負けないくらい田原さんのバッキングにエネルギーが充満していました。アルバムのリード曲とあって、会場全体も思わず息をのんでいるような印象でした。もともと好きな曲でしたが、生演奏を聴いて、さらに虜になってしまいました。

14.pieces

 こういう歌モノと言いますか、ゆったりとした曲調において、自分はとりわけナカケーさんのベースの音色に聞き惚れてしまいます。桜井さんの歌に寄り添うようにベース弦を鳴らされているんですよね。そこの匙加減が絶妙で優しい。間奏でも、前面にベースラインを押し出すわけじゃなく、それでいて、美しい彩りを放ちながら奏でているように聴こえてきます。次のベースの練習曲はpiecesにしようかな、と演奏後にふと思いました。

15.放たれる

 piecesに引き続き、ゆったりとした曲が続き、観客の多くが腰を下ろして聴き入っていました。ファルセットが心地よく会場を包み込み、歌詞のとおり、心が放たれたような気分に。日常生活では、どうしたって知らぬ間に種々のしがらみにがんじがらめにされてしまったりするものですが、ライブの瞬間だけはそういう不自由から解放されて素直になれる気がします。こういう感慨を味わえるのはライブの醍醐味ですね。

16.幻聴

 イントロが鳴った瞬間、自分含め座っていた多くの観客が一斉に立ち上がりました。この曲の持つ、何か素敵な冒険が始まる感、すごいですね。誰もが主人公になってしまう魔法に突然かかる感じです。Mr.Childrenの魔法。気がつくと自分含め多くの方が桜井さんと一緒に歌っていました。会場の一体感が一段と強くなった印象です。

17.声

 言わずもがな、みんな叫んでいました。そういう曲ですからね。「おー、お」って。桜井さんと観客の声の掛け合いです。楽器隊が静まって、会場だけで歌う時に、全力で野太く叫んだファンの方がいて、メンバー含め会場全体に笑いが起こりました。最後は桜井さんのマイクなしの「おー、お」が響き、ボルテージは最高潮に。

18.Your Song

 冒頭のシャウトかっこよすぎます。前曲「声」につられて、自分もシャウトしてしまいました。周りもみんな叫んでいたので、迷惑にはなっていないと思います。つくづく爽やかで澄んだ曲ですよね。「飛び込んでくる嫌なニュースに心痛めて」というフレーズがやけに胸に沁みました。楽しむこと自体に後ろめたさを感じてしまうような悲しいニュースが元旦から続いていますからね。Mr.Childrenの優しさが凝縮されたようなパフォーマンスでした。

19.deja-vu

 ここで特別ゲストの小谷美紗子さんが登場しました。本アルバムでは2曲ピアノを担当されたとのこと。「短い曲ですが、長い工程と議論を経て作りました」と桜井さん。「大好きな曲です」と桜井さん自身がおっしゃったことが印象的でした。「あぁ僕なんかを見つけてくれてありがとう」というフレーズを生で聴けて感動。小谷さんのピアノも温もりに溢れていました。

20.おはよう

 「明日朝起きたときにこのライブの温もりを思い出してくれるといいなと願いながらお届けします」と桜井さん。サビでは小谷さん高音パート、桜井さん低音パートでした(と自分の耳には聴こえました)。他のミュージシャンの方の歌声をミスチルライブで聴くのは、凄く新鮮な感じがしましたね。今日起きたとき、曲を聴いて、ちゃっかり温かな音色を思い出しました。

21.優しい歌

 桜井さんのギター弾き語り。「これからもし曲が作れなくなったら、この曲と、今目の前にいる皆さんの温かい表情を思い出して、自分を鼓舞する」という趣旨のお話をされていました(うろ覚えですので、違っていたら、すみません)。ここでもギター弦の「キュッ」というフィンガリングノイズが深い味わいを醸し出していて素敵でした。弾き手が素晴らしいとギターも生き物のように響くんですよね。不思議です。途中からSunnyさんのピアノが彩りを添えていました。

22.The song of praise

 曲作りの時点でお客さんのレスポンスを考えていた、と桜井さん。「誰かを傷つける声ではなく、誰かを讃える声で歌おう」とおっしゃったのが印象的でした。ホールという近い距離でのライブだったので、よりその言葉がリアリティを持って響いてきたように思います。みんなで「おーお」と合唱し、会場の一体感が素晴らしかったです。まさにThe song of praiseでした。

23.祈り ~涙の軌道

 この日最後に演奏されたのは、「祈り ~涙の軌道」でした。「いつかまた会えることを祈ってお届け」と、桜井さん。自分はこの曲を聴いて以来「笹船」という言葉が妙に好きになって、思い入れのある一曲だったので、最後に聴けて大満足でした。桜井さんが手で笹船の形を作って歌っていたのが本当に素敵でした。またまた「笹船」が好きになってしまいました。

MC等

 順番は覚えておらず、断片的な記憶しかないのですが、印象的だったものをいくつか紹介します。

 今回なんと一部MCを田原さんが担当されていました。最近桜井さん以外のメンバーの方々もお話をされる機会が増えてきて、ファンとしては嬉しいですね。田原さんは、コロナ禍で活動ができないなか、ファンの方々から、たくさんお便りが届いて助けられたとおっしゃっていました。

 ナカケーさんの挨拶で印象的だったのが「こんばんは。本年もよろしくお願いします」と言って深くお辞儀したことでした。ロックバンドながら礼儀正しい挨拶がなんとも微笑ましく、バンドの良さをそんなところからも感じることができました。ナカケーさんの挨拶が短めだったので田原さんがおっしゃったのですが、ナカケーさんは地方公演だとご当地グルメの話をされるそうです。「東京だと自宅だもんね」と田原さんが言うと、「頂いたサツマイモがおいしかったです」とナカケーさんがお話しされていました。そこで桜井さんが「茨城産のサツマイモね」と補足すると会場に笑いが起き、とっても和やかで微笑ましいやりとりでした。

 鈴木さんは相変わらずユーモラスで剽軽で会場を盛り上げていました。掛け声の煽り等もあり、アットホームな雰囲気でした。雪の話もされていましたね。会場が屋内で、リハーサルも同会場で行なっていたので、雪の情報はウェザーニュースで知ったとのこと。観客の一人が「雪やんだ!」と叫んで、笑いが起きていました。あとは震災の話。これからは良いことしか起こらないはずと、お話されていました。

 桜井さんも震災の話をされていました。明けましておめでとうと素直に言えないような悲しいことが続いている、と悲痛な心情を語っていらっしゃいました。あとは、新年一発目のライブで最初少し固くなっていたけれど、良いスタートが切れたという趣旨のお話もされていました。

 MCはこんな感じでしょうか。何か思い出したら、追記するかもしれません。うろ覚えで、すみません。

 そう言えば、MCではないかもしれませんが、曲が終わって会場を後にする際に毎回桜井さんが言う「バイ、バーイ!」も聞くことができました。自分、これ大好きなんですよ。小学生の頃を思い出してしまうんですよね。秘密基地で遊んだあと、大声で「バイ、バーイ!」とよく叫んだものです。大人になるにつれてどんどん言わなくなっていった言葉ですが、ミスチルのライブのときだけは、桜井さんにつられて、童心に戻って叫んでしまいます。周囲の人たちも叫んでいました。まさにMr.なChildrenですよね。

 ライブレポートは以上でございます。記憶違いの箇所もあるかと思いますので、客観的に正確な記事ではないということを、ご承知おきくださいませ。明らかな間違いがあればご指摘いただければ修正いたします。何はともあれ、昨日の感動を忘れたくなくて、言葉にしてしっかり残しておきたくて、勢いで書きました。読みづらいところもあったかと思いますが、少しでも良い記事だと感じていただけたら幸いです。

 

※noteでも同内容の記事を掲載しています。下記は音楽関係のことを中心に書いているアカウントです。気が向いたら、お読みいただけると嬉しいです。

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面接官の相槌について

 新卒時の就活や転職活動のときのことを振り返ってみると、面接官で相槌を打たない人が結構いた。普段会話をするとき、多くの人は相槌を打つことと思う。相槌を打たない面接官は、それが面接の場であるという理由で、そうしているのだろうが、これはよくよく考えてみるとおかしい。面接とはいえ会話であるから、相槌を無くして緊張感を生むのは、合理的でない。会社で会話をするとき、まともな人間は相槌を打つのだから、面接でも日々のビジネスシーンを想定したコミュニケーションがなされるべきだ。相槌によって会話のリズムが決定されるのだから、それを敢えて不協和にするのは、全く建設的でない。緊張感には良し悪しがある。面接という場には、むろん良い緊張感が必要なわけであって、悪い緊張感を生むのは、単純に面接官が採用不採用を決定するという立場的な強さを悪用しているに過ぎない。こんな悪習はいい加減消滅してほしいものである。

自死を思いとどまらせて感謝状というニュースに思うこと

 先日のニュースの話だが、他人の自死を思いとどまらせた人が警察から感謝状を贈られたという記事を読んだ。この手のニュースを見聞きするたびに、自分は妙な違和感を覚えてしまう。そもそも警察が感謝状を送ることや、それを受け取ろうと思う人の心情を自分は理解できない。自死志願者の気持ちを考えると、そんな感謝状のやりとりを行うことや、それを公にすることの無意味さや残酷さを想像できないのだろうか。


 「尊い命を救っていただいた」という警察署長の言葉が引っかかった。本当の意味での「救い」は、自死志願者当人がその後安定的に幸福な人生を歩んで「生きてて良かった」と思って初めて成し遂げられるのだから、まだ何も決まっていない段階で「自死を思いとどまらせたから救った→感謝状」などという流れは、茶番でしかない。簡単な想像を放棄して、意識的か無意識的か美談に仕立てる人間がいる限り、自死者の人数がゼロになることは絶対にないだろう。


 「悲しむ人がいっぱいいるよ」という救った人の言葉も紹介されていたが、至極残酷だと思う。悲しむ人が多くいたとしても、その悲しみ以上に当人は苦痛を味わっているのだから、そのような言葉は攻撃的な響きにすらなりうる。それに、現代社会は孤独化が進んでいて、そもそも悲しむ人が極端に減っているのが現状。もしも自死志願者が「悲しんでくれる人なんか私にはいない」と考えていたとしたら、結果は逆だったかもしれない。思いとどまったのは、現段階での結果論である。


 とはいえ、だからと言って「救うな」と自分は主張しているのではない。感謝状のやりとりを行う必要はないし、公にする必要もないと言っているのである。安直な美談化は誤った認識を社会に広めるだけだ。行政機関やマスコミはごく単純な想像力を放棄しているようにしか見えないのだが、残念ながら、この傾向は今後も加速するのだろう。心情の機微を表現する文学は、制度の実体上教育現場から遠ざけられる恐れがあり(現状、学校とりわけ国語の先生方が「文学国語」も今までどおり扱ってくれているのが、せめてもの救い)、一般生活上も読書離れが進んでいるから、繊細な感性や想像力は日本人からますます離れてゆく。「マジ」「ウザ」「キモ」のような浅薄な言葉ばかり使用する人が増えていった先にあるのは地獄だ。彼らが理解できるのは、予定調和やご都合主義の心情だけである。こんなことを自分がぼやいてみたって何も変わらないのが、何とも虚しい。

すぐ感動して泣く人に対する違和感

 映画や音楽などを鑑賞するとすぐ感動して泣く人がいる。こういう人は「優しい」とか「感受性が豊か」とか言われがちだが、実際は単純に感情表現が豊かなだけだと思う。むしろ感受性が豊かな人間の代表格である芸術家に結構寡黙な人が多いということを考えると、何でもかんでも感動してしまう人は俗物っぽい印象すらある。


 それに、すぐ感動する系の人たちに対して自分は底知れぬ恐怖心を抱いてしまう。すぐ感動するということは「流されやすい」「移ろいやすい」ということでもある。例えばSNSで近隣諸国における反日デモを見ると、怒り狂って憎悪表現を平気で口にする人がいる。かと思えば、その近隣国の旅行者が現地の人に助けてもらったという投稿を見ると「なんだ、本当は良い人たちなんだ」と180度態度が変わったりする。と思いきや、その近隣国の有名人が領土問題について言及すると「やっぱりうざい」などと言って、差別発言のオンパレードとなることもある。


 真に優しく感受性が豊かな人間とは、その衝動的な感情を想像力と理性で制御できる人間ではあるまいか。そういう人間になるために、知見を広め、思考を深化させることが大事だと思うのだが、SNSの普及を見るにつけ、もう取り返しのつかない段階まで人類は来てしまったような気がする。すぐ感動する系人間は今後も増殖し続けるだろうし、その行く末にSF的なディストピアの世界が待っているとしたら、あまりに虚しい。

芸術について

 ギター演奏が上手くなりたいという気持ちはあるのだが、一方で技能を高めることに固執することが自分の性に合っていないような気もする。自分はどちらかというと、メロディーを創ったり、歌詞を書いたりする方が遥かに好きだから、そちらに心が向いている限り、ギターの超絶技巧演奏などには興味が湧かないのだろうと思う。


 最近読んだ岡本太郎の『今日の芸術』には芸術と芸能の違いが説明されていて、これが興味深かった。芸術は透明な気分で自由に本能のままに創るもの。対して、芸能は型を重視し鍛錬を積んで創っていくもの。芸能の具体例として、歌舞伎や能みたいな伝統芸能を思い浮かべると分かりやすい。どこかの偉いお師匠さんの家の元で若い頃から鍛錬を積んでいき、長い年月を経て初めて成熟した表現ができる。ここでは型がとにかく重視され、ここからはみ出してしまうと「邪道」と罵られて、最悪破門ということにもなりかねない。厳しい世界である。端的に言えば、封建的で保守的。他方、現代の芸術には、そういうしがらみは一切存在しない(むろん古典的な世界の芸術は師匠さんの存在が重要だったから、しがらみは多分にあったと思われる。その意味で古典芸術は芸能の本質に近いのかもしれない)。芸術は、とにかく自由で、のびのびとしていて、革新的で、そして、常に時代に対して批判的なのである。そこに技能は必要とされない。本能の方が大事である。


 自分はこの点に芸術の魅力を感じているのだと思う。器用な方ではないが、とにかく何か今の世界や時代に対する感情を表現したいと考えた際に、芸能は実に冷たい反応を示すが、芸術は誰に対しても門戸を開いてくれる(時代や権力に迎合する人間には開かないだろうけれど)。ギターの良いところは、他の楽器と違って、ある程度基本的なコードが弾ければ曲が作れてしまう点だ。自分みたいに不器用な人間には本当にありがたい。だから練習もそこそこにして曲ばかり作ってしまっている。ふとした瞬間に思い浮かんだメロディーをスマホに録音するということをかれこれ十年以上は続けている気がする。こんな感じだから、一向に演奏技術が上達しないのだろう。でも、のびのびとしているには違いない。


 とはいえ、芸術は自由であるだけに、本当の意味でのそれを作り上げるのは難しい。それができるのは一握りの人間だけだ。ほとんどは時代の枠組みや既存の価値観に囚われた創造をしてしまう。と考えると、自分の創っているものは何なのだろうか。似非芸術品。芸能の劣化版。よく分からない。それでも、本能が自分を動かす限り、自分は文学にせよ、音楽にせよ、創作して表現するということを続けるのだろう。
 はあ、相も変わらず、まとまりのない文章になってしまった。

児童文学マイナス文学的要素=ディズニー

 本日ディズニーが百周年らしい。自分は一昔前まではかなりのディズニー好きで、サンフランシスコのウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアムに一人で訪れたこともあるほどだけれど、今やすっかりその熱も冷めてしまった。文学にのめり込むにつれて、夢や希望といったものを絶対視することの歪さや危険性に気づいたからと言えば良いのだろうか、端的に言ってしまえば、自分は無邪気さというものを無くしたのである。児童文学から文学的要素を無くしたら、まさにディズニー作品になる。子どもが現実を目の当たりにしたとき、そのギャップに戸惑う危険性を自分はどうしても感じてしまう。


 それに、最近の(なんていう言葉は使いたくないが)ディズニー作品が極端に通俗化した点も大きいかもしれない。ディズニーの根源はイマジネーションだと思うのだが、今のディズニーは、すっかりそれが欠如しているように感じられる。実写版リメイクとシリーズ化が多すぎる。マレフィセント(眠れる森の美女)、シンデレラ、美女と野獣、アラジン、ライオンキング、ムーラン、リトル・マーメイドのような作品の実写版映画が大量に生産され、トイストーリー、モンスターズインク、カーズ、シュガーラッシュ、アナと雪の女王は、シリーズ化されている。これは、創造の怠慢であるような気がしてしまう。元来のディズニー精神は、新しいものを想像し、そして、創造することだったはずだ。しかし、今はすっかり保守的になっている感がある。新しい物語を作ることに消極的になってしまっては、もはやウォルトのDNAは受け継がれていないのではないか。


 たしかCEOのボブ・アイガーが日本のテレビ番組で「ウォルトを尊敬するが、崇拝はしない」という趣旨の発言をしていて、自分はこれを肯定的に捉えていたけれど、今日のような、何でも合併吸収する商業路線を見るにつけ、もはや尊敬すらしていないのかもしれない。まあ尊敬する必要性もないのかもしれないが。


 というのも、少し話は逸れるが、ウォルトは実はかなり威圧的な性格で、今日の人権基準から言えば、相当問題のある人だったらしい。労働組合の組合員たちを一斉に解雇したこともあったようだし、そんなウォルトに愛想を尽かした初期からのアニメーターたちも一斉にディズニーから離れるという事態まで起きた(一時はミッキーマウスの生みの親アブ・アイワークスまで)。宇宙規模の天才にどこか危なっかしいところがあるのはどうやら本当らしい。自分は、子供の頃からウォルトのことを長いこと尊敬していたけれど、彼のことを知れば知るほど、どんどん心が離れていき、今や作品自体に対する興味もほとんど失ってしまった。


 とはいえ、世界規模の文化を創造した功績が偉業であることに変わりはない。それに、今でも自分はディズニーの音楽だけは大好きだから、今後も聴き続けることと思う。百周年記念の作品は一応観る予定ではあるが、十二月公開らしいから、そのときには心変わりしているかもしれない。

初投稿

 一昔前、ブログは芸能人の専売特許のようなものだと思っていたから、まさか自分が書くなんて思ってもみなかった。不定期で日記のようなものは書いてはいるが、そちらは読者がいることを想定しないで書いているから、支離滅裂な内容になりがちである。読者がいることを想定して書くことの重要性が様々な書籍で説かれていて、どことなくそれが心に引っかかっていたから、ふと今になって書いてみようと思った。なぜ今かという理由は特にない。これまで小説やエッセイの公募に挑戦したことがあるけれど、結果は芳しくなく、自分の書いた文章がお蔵入りになることがあまりに切ないので、インターネットという俗な場であっても、何かしら自分の感情や思考を残しておきたいという欲望が大きくなったのかもしれない。まあ、極度の飽き性ゆえ、あまり続かないかもしれないけれど、とりあえず始めてみる。