市井ケンジロウの独り言

趣味で文学・音楽を創作している者です。

芸術について

 ギター演奏が上手くなりたいという気持ちはあるのだが、一方で技能を高めることに固執することが自分の性に合っていないような気もする。自分はどちらかというと、メロディーを創ったり、歌詞を書いたりする方が遥かに好きだから、そちらに心が向いている限り、ギターの超絶技巧演奏などには興味が湧かないのだろうと思う。


 最近読んだ岡本太郎の『今日の芸術』には芸術と芸能の違いが説明されていて、これが興味深かった。芸術は透明な気分で自由に本能のままに創るもの。対して、芸能は型を重視し鍛錬を積んで創っていくもの。芸能の具体例として、歌舞伎や能みたいな伝統芸能を思い浮かべると分かりやすい。どこかの偉いお師匠さんの家の元で若い頃から鍛錬を積んでいき、長い年月を経て初めて成熟した表現ができる。ここでは型がとにかく重視され、ここからはみ出してしまうと「邪道」と罵られて、最悪破門ということにもなりかねない。厳しい世界である。端的に言えば、封建的で保守的。他方、現代の芸術には、そういうしがらみは一切存在しない(むろん古典的な世界の芸術は師匠さんの存在が重要だったから、しがらみは多分にあったと思われる。その意味で古典芸術は芸能の本質に近いのかもしれない)。芸術は、とにかく自由で、のびのびとしていて、革新的で、そして、常に時代に対して批判的なのである。そこに技能は必要とされない。本能の方が大事である。


 自分はこの点に芸術の魅力を感じているのだと思う。器用な方ではないが、とにかく何か今の世界や時代に対する感情を表現したいと考えた際に、芸能は実に冷たい反応を示すが、芸術は誰に対しても門戸を開いてくれる(時代や権力に迎合する人間には開かないだろうけれど)。ギターの良いところは、他の楽器と違って、ある程度基本的なコードが弾ければ曲が作れてしまう点だ。自分みたいに不器用な人間には本当にありがたい。だから練習もそこそこにして曲ばかり作ってしまっている。ふとした瞬間に思い浮かんだメロディーをスマホに録音するということをかれこれ十年以上は続けている気がする。こんな感じだから、一向に演奏技術が上達しないのだろう。でも、のびのびとしているには違いない。


 とはいえ、芸術は自由であるだけに、本当の意味でのそれを作り上げるのは難しい。それができるのは一握りの人間だけだ。ほとんどは時代の枠組みや既存の価値観に囚われた創造をしてしまう。と考えると、自分の創っているものは何なのだろうか。似非芸術品。芸能の劣化版。よく分からない。それでも、本能が自分を動かす限り、自分は文学にせよ、音楽にせよ、創作して表現するということを続けるのだろう。
 はあ、相も変わらず、まとまりのない文章になってしまった。